当サイトへたずねて来ていただき、ありがとうございます。
ここでは私(カオル)のワキガの歴史と、このサイトの運営理念について書かせてください。
私は思春期からの20年、ずっとワキガに悩んできました。
初めてワキガを指摘されたのは15歳の頃。
祖母でした。
「カオルちゃんは青クサイ臭いがするなぁ。」と言われたのです。
青臭い、といえばテレビドラマなんかで人を馬鹿にする時に使う言葉、くらいな認識しかなかった私は優しい祖母から突然そんな言葉を言われて戸惑いました。
「どういう意味なの?」
そう聞き返した私に祖母は言いました。
「う~ん、青々した葉っぱみたいな臭いだ。若い時はみんなそんな臭いがするんだ、心配ねぇ。大人になれば消えちゃうからよ。」
この時点で、祖母は例えで「青臭い」と言ったのではなく、実際に私が「葉っぱの臭い」がするのだと教えてくれました。
ですが、その後に
「若い時はみんなそんな臭いがする」
「大人になったら消えてしまう」
という祖母の言葉を聞いて、「誰でもみんな葉っぱのような臭いがする時期があるのだ」と思い、臭いに関して悩むことはありませんでした。
祖母は私が落ち込まないように、フォローのつもりでそう言ってくれたのだと思います。
ですが、この言葉が真実でないと知った時の私のショックは相当なものでした。
18歳、同級生からクサイと言われる
その頃、私は高校を卒業し、看護師になるための専門学校に入学しました。
それをきっかけに田舎を離れ、上京。
東北の田舎町で育った私にとって、都会の学校生活は刺激が強く、訛のないキレイな言葉ひとつ聞いても胸がドキドキしました。
入学してしばらく経ち、ある程度フレンドリーに話せる友達が出来た頃、
一人の女の子の事をみんながクサイと言いだしました。(私ではありません)
「あの子、ワキガだよね」
「Tシャツ干してたの、ワキが黄ばんでたよ」
当時は寮生活。
その子も寮に入っており、洗濯などの干し場も一緒でした。
正直、私は一度もその子がクサイと思ったことがありませんでした。
ワキガ、という言葉もその頃に初めて耳にしたと思います。
その子は、コソコソと聞こえてくるその批判に、ずいぶんと心を痛めているようでした。
いわゆる「いじめ」です。
一度、お昼休み中に教室でお弁当を食べていたその子をまた数人がクサイよね、と言いだしました。
その子は無言でお弁当を食べていましたが、その後席を立つこともなく、静かに泣きはじめました。
限界だったのかもしれません。
いつもはただ成り行きを眺めているだけの私だったのですが、
その日はその子の姿を見ているのが辛くなり、友人達の輪の中で一言つぶやきました。
「あの子、そんなにクサイかな?」
その瞬間、輪の中の空気がすっと冷たくなったのを今でもはっきり覚えています。
しばらくの沈黙の後、一番仲良くなったと思っていた友人が冷笑浮かべ、言いました。
「同じニオイがするから分かんないんじゃない?」
途端に、教室中にどっと笑いがおきました。
「だよね?だよね?私もカオルってそうじゃないかと思ってたの!!」
「やっぱり~?!いつ言おうかと思ってさ~」
ぽかんとする私に浴びせられる言葉の数々は、まだ全然意味が分からなかったです。
「カオル、あんたやっぱりワキガだよ~!!」
そう言われて初めて私は周りからクサイと思われていたんだと気がつきました。
「え?そんなことないよ・・・」
必死に否定しましたが
友人達の遠慮のない行動はエスカレート。
「絶対そうだって!じゃあワキの下を嗅がせてよ」
ワキガだと思っていなかった私はその言葉に従って腕をあげました。
面白顔で近寄ってきて、友人達がワキの下に鼻を近づけます。
「ウッ」
「クサッ」
口々にみんなそう言います。
「え~?」
自分でも嗅ぎましたが、この時はよく分かりませんでした。
「カオル、ワキガ決定!!」
みんなが指を指して笑いました。
この日を境に、私がワキガで苦しむ日々が始まりました。
自分がワキガであると自覚した日
夕方、寮の部屋に戻ってから何度も何度もワキの下を嗅ぎました。
でも、なんとなく変な臭いはするのですが、これがワキガの臭いなのかどうか分かりません。
手の甲でワキの下を擦って、鼻に近づける・・・。
「!」
電車の中で、いっぱい汗をかいた太ったおじさんから発せられる臭いというイメージの臭いがそこから漂っていました。
「これが・・・ワキガ・・・。」
自分がワキガであると認知した瞬間です。
この時のダメージ、苦しさ、今でも忘れられません。
思い出すと涙が出そうになります。
思春期の女の子。
クサイなんて、一番あってはならないこと。
それがたった1日でクラス中のみんなにワキガだと知られたこと。
そもそも、それまで自分がワキガだと気づかずにいたこと。
情けなくて、恥ずかしくてこのまま学校を辞めてどこかへ行ってしまいたいと思いました。
寮を出て、一人暮らしへ
その後、クラスでワキガに対して執拗ないじめがありました。
ターゲットはどうやらその子から私にシフトチェンジした様子。
今まで仲良かった子も、冷笑をたたえてこちらを見ているだけ。
寮ではその子達とお風呂も一緒。
洗濯機も共用。
うっかり鉢合わせすると
「一緒の湯船に入ったらワキガが移るよ、カオルはシャワーだけね」
「カオルの後?え~・・・他の洗濯機空くまで待たなきゃ」
など心無い言葉を浴びせられるように。
もう限界でした。
私はすぐにバイトを開始。
できるだけたくさん働いて、まとまったお金を得た後、すぐに退寮しました。
学校だけならまだ我慢できる。
でも、寮でも肩身の狭い思いをするのは絶対にイヤだ。
そんな思いからの退寮です。
一人暮らしは寂しかったですが、好きなお風呂にゆっくり浸かれ、
洗濯物も気兼ねなくできるのは快適でした。
この頃から、臭い対策をどうにかしようと思って調べ始めました。
当時、スマホなんていう便利なものはなかったですし、
パソコンも持っていません。
図書館に行ってもワキガに関する書籍などほとんどなく、ドラッグストアに売っている「8×4」を試すくらいしか術を知りませんでした。
だけど、制汗スプレーってワキガ臭と混じるとそれはそれでクサイんです。
結局、一番の臭い対策は「洗う」ことでした。
ちょっとでも汗をかいたと思ったら、学校のトイレでワキの下を洗いました。
誰もいないトイレで、タオルハンカチを濡らし、石鹸を泡立てて個室に入る。
服を脱いで、ワキの下を石鹸で洗い、塗らしたタオルハンカチで何度も拭く。
これをすると、臭いは一時的に落ち着きます。
でも、数時間でまた臭いが出てきてしまうので、
学校にいる間は2~3回はこれを繰り返していました。
しかし、努力が実ってか、周りが飽きたのか
ワキガに関して騒がれることは段々と少なくなってきました。
そしてそのまま無事に卒業。
国家試験も無事に通り、晴れて看護師となりました。
医師にワキガ対策を教えてもらう
日本全国にある日本赤十字病院。
私が初めて勤めた病院です。
そこの皮膚科・整形外科の混合病棟と呼ばれる場所に配属になりました。
そこで働くうちに、年配の皮膚科の先生と比較的よく話すようになりました。
優しい先生で、外科系のシャキシャキした雰囲気とはかけ離れ、柔らかい物腰のその先生は話していると不思議と心が穏やかになっていきました。
夜勤の夜、通常は当直しない先生でしたが、当時その先生が専門にしていた皮膚疾患で入院していた方がいたということもあり、その先生も遅くまで残っていました。
たまたま他の看護師が出払っていて誰もいないナースステーションでその先生はおもむろに言いました。
「君はいつもワキをぎゅっと閉じてるね」
「え?」
「ほら、紙に書く時って自然にはワキが開くじゃない。でも、今の君はぎゅっとワキを閉じて書いているね。」
「あ・・・」
「もしかして、腋臭症を気にしてのことかな?」
この時、私のワキガの事を指摘されたことにパニックになり、なんと答えたかは覚えていません。
看護師として働き始めてからも、こまめにワキを洗っていたし、白衣もまめに交換していました。
きっと誰も私がワキガだということに気がついていないはずだと信じていたんです。
なのに、先生に気づかれていたなんて。
恥ずかしくて顔から火が出る思いでした。
だけど、先生は優しく、
「そんなの病気じゃないんだけどなぁ。年を取ってくるとその臭いすら若さだなぁって思うよ。
でも、気になるのなら、ミョウバンを水に溶いて塗ったらいいよ。臭いも汗も出にくくなるよ。」
そう教えてくれました。
そう、これが私とミョウバン水との出会いです。
スーパーで買ってきた「焼きミョウバン」にはどこにもそんな機能・効能について触れていません。
水で薄めるといってもどのくらい薄めればいいのか分かりません。
適当に水に入れて溶き、白く濁ったその水をティッシュペーパーで塗りました。
(今思うと相当濃いミョウバン水です)
その効果に驚きました。
汗をほとんどかかずに、ワキの下がサラサラ。
私はいつも臭いの確認の時には手の甲を何度かワキの下にこすり付けてから、それを嗅ぐのですが
何度確認しても無臭。
嬉しくて嬉しくて、先生のところに走っていって御礼したいくらいでしたが、
結局、ワキガの事を自分の口から切り出すのが恥ずかしくて御礼を言わずじまいとなりました。
先生、あの時は本当にありがとうございます。
あれから5年以上、私はミョウバン水に救われることになりました。
2005年頃からデオドラント商品がハイクオリティーに
当時、ミョウバン水の使用で「すぐに洗わなくてはいけないくらい臭くなる」事がなくなった私は、手術しない以上、これが限度だと諦めていました。
手術をしない理由は一つで、術後の臭い戻りがイヤだったからです。
これまで何度も手術を考えました。
でも、体験記を読むたびに、術後の臭い戻りに悩む方の手記を読み、手術に期待が持てませんでした。
手術をしないで、ワキガ臭を抑えるにはミョウバン水で7割抑えるが限界だと思い込んでいたのです。
そんな中、急激なネット普及の波に乗って、我が家にもパソコンが設置されるようになりました。
ネットで何でも買える時代の到来です。
そんなネット生活を楽しみ始めていた頃、ある広告が目に入りました。
「ワキガは手術じゃないと治らないと思っているあなたへ」
こんな見出しの広告だったと思います。
興味をそそられ、すぐにその広告をクリック。
制汗剤はスプレーしかないと思っていた私には衝撃的なクリームタイプのワキガ専用デオドラントでした。
多くの人が絶賛している口コミが書かれ、色んなサイトで1位を取得しているそのクリームがどうしても欲しくなりすぐに購入しました。
これが私には驚くほど効果があったんです。
クリームなので、ワキへの密着度が高く、9割以上臭いが抑えられました。
ただ、残念なことに今では販売中止です。
少々高額だったので、継続するかどうかを悩み、ケチケチ使っている間に販売が終わっていました。
しかし、この頃からワキガに関する高機能商品が多数生まれてきました。
超ロングセラーデオドラント剤となった「デオナチュレ ソフトストーンW」も確か2007年頃から発売を開始しています。
時代はスプレーから直塗りへと移行しつつありました。
こうして、私はその後様々な高機能デオドラント剤を試すようになります。
中には「なにコレ?」なものもありましたが、ちゃんとネットで調べれば
そういう商品はちゃんと「効果がない」と書いている記事が多数見つかりました。
今、私がよく使う商品はほとんどは2010年以降に発売となったものばかり。
やはり、デオドラント剤もまたどんどんと進化を遂げています。
ワキガで苦しんだ私ができること
随分と長くなってしまいました。
今、私の長いワキガとの戦いはほとんど終わったといっても過言ではありません。
培ってきた経験とノウハウ、そして新時代のデオドラント製剤のおかげです。
この間に、結婚もしたし、赤ちゃんも出産しました。
主人は当時、私がワキガだとは知らずに付き合っていたそうです。
結婚前に正直に自分がワキガであることを伝えました。
主人は「臭いが全然ないんだから、ワキガなんて気にしなくていい。例え臭いがあっても気にしない」と言ってくれました。
結婚から7年。
今でも主人から臭いの指摘をされたことはありません。
今では毎日お風呂に入ったり、食事をする感覚で1日にたった数分のワキガケアをするだけで、ワキガ臭をほとんど感じることなく生活できています。
この経験をあの当時の私のように悩んでいる誰かに伝えられたら―。
そんな思いからこのサイトを作ることを決めました。
今はネットでいくらでも情報が得られる時代です。
私がこじんまりとしたサイトを立ち上げなくても、ワキガに悩む人は有益な情報を見つけてくれるのかもしれません。
ですが、ワキガサイトの中には根拠も理由も明確にせず、高額な商品を販売するものもあります。
知りたいことが書かれていなかったり、全く関係のない記述に飛ぶサイトまであります。
本当に効果がある方法を自分の言葉で、しっかり伝えたい。
何を使っていいか分からない時、ワキガで苦しい思いをした時、そんな時にしっかりその話を聞いてサポートできる窓口を作りたい。
このサイトに出会った人がワキガの悩みから開放され、もっと自分に自信を持って生きて欲しい。
そんな風に思ってこのサイトを日々細々とではありますが運営をしています。
以上が私の自己紹介と、サイト運営の理念です。
長い自己紹介にお付き合いいただき、ありがとうございます。
ワキガにお悩みの方、一緒に対策を考えていきましょう。
ワキガとさよならし、あなたの人生がもっともっと輝くことを願っています。
-「ワキガ対策本部」運営者 Kaoruより-